長い闘病生活
コメントありがとう御座います。
返事のやり方などよく解らないので、ここでの返事ですいません。
またまた励みになりました。
いろいろな話を聞かせて頂き、勉強になります でも色々な心配をしてしまうのも正直あります。
昨日、診察に行きました。 壊死した骨がやっと少し融け始めたばかりだそうです。
壊死した骨がなくなり、新しい骨が再生するのを黙って見守るしかない病気なのですが やはり8歳だと少し進みが悪いようです
Sは、(少しでも進んでるので良かった。)と口では言っていました
病気が判明した時、病院の先生が(長い闘病生活になりますが頑張りましょう。)
と言ったのを思い出しました。
まだまだ長い闘病生活
厄介な病気だ
精神的に追い込まれる
覚悟はしていたけど…
返事のやり方などよく解らないので、ここでの返事ですいません。
またまた励みになりました。
いろいろな話を聞かせて頂き、勉強になります でも色々な心配をしてしまうのも正直あります。
昨日、診察に行きました。 壊死した骨がやっと少し融け始めたばかりだそうです。
壊死した骨がなくなり、新しい骨が再生するのを黙って見守るしかない病気なのですが やはり8歳だと少し進みが悪いようです
Sは、(少しでも進んでるので良かった。)と口では言っていました
病気が判明した時、病院の先生が(長い闘病生活になりますが頑張りましょう。)
と言ったのを思い出しました。
まだまだ長い闘病生活
厄介な病気だ
精神的に追い込まれる
覚悟はしていたけど…
2011年12月17日 Posted bypinkモータース at 22:41 │Comments(1) │ペルテス病
この記事へのコメント
はじめまして。久しぶりにペルテス病のことを思い出しインターネットで調べていたところ、このブログに辿り着き拝見させていただきました。
私自身、小学生の頃にペルテス病を発症したのですが、当時の私の両親もこんな気持ちだったのだろうかと思い、思わずコメントをさせていただきたきました。
まとまりのない文章かもしれませんがご容赦ください。
私は現在28歳で、小学6年生の年(12歳)にペルテス病が発覚しました。近所の病院から離れた大学病院へ紹介され、診察初日に伝えられたのは全体的に暗い内容で、特に「高齢発症なので完治することは難しい。手術をすることを覚悟しておいてください」という言葉は今でもハッキリ覚えています。
それからすぐに装具を作り装着し、完治するかどうか様子を見続ける
生活が始まりました。完治するかどうかも分からずただ待つだけ・・・。しかし不思議と絶望感というものはなく、むしろ家族を含め周囲の人が明らかに私に気を遣っているのが判る事のほうがつらかったぐらいです。
入院するということはなく、私の場合は学校の時は装具、家に帰ってからや休日は松葉杖での生活でした。ただ、じっとしていられない性格だったので、学校に着いてからは親に内緒で装具を外してケンケンで動き回ったり、最終的には装具を着けた状態で友達と走り回ったりしていました。
そんな生活が一年半ぐらい続いたものの、結局手術をすることはなく、中学二年生に上がる頃に完治したであろうと判断され、装具を外す許可が下りて歩行の訓練が始まり、半年ぐらいで自分の足だけで歩けるようになりました。
多少不便な部分もあるかもしれませんが、現在は通常の人とほぼ同じぐらいの生活ができるようになっています。「あの時」不自由した時間は戻ってきませんが、「これから」で十分取り返せたんじゃないかと思っています。
もうすでに色々な方から言われてきたかもしれませんが、私としても月並みな言葉しか言えません。お子さんが小さい分それを伝えることは難しいかも知れませんが、ただ我慢するしかないと思います。高齢発症の私ですら完治できたのです。骨頭に体重をかけないようにしておけば、あなたのお子さんのほうが若い分必ず治るはずですし、予後も私よりも良い状態になるのではないでしょうか。
これが皆さんの一助になれば幸いです。何よりも諦めないことです。
長々と失礼しました。
私自身、小学生の頃にペルテス病を発症したのですが、当時の私の両親もこんな気持ちだったのだろうかと思い、思わずコメントをさせていただきたきました。
まとまりのない文章かもしれませんがご容赦ください。
私は現在28歳で、小学6年生の年(12歳)にペルテス病が発覚しました。近所の病院から離れた大学病院へ紹介され、診察初日に伝えられたのは全体的に暗い内容で、特に「高齢発症なので完治することは難しい。手術をすることを覚悟しておいてください」という言葉は今でもハッキリ覚えています。
それからすぐに装具を作り装着し、完治するかどうか様子を見続ける
生活が始まりました。完治するかどうかも分からずただ待つだけ・・・。しかし不思議と絶望感というものはなく、むしろ家族を含め周囲の人が明らかに私に気を遣っているのが判る事のほうがつらかったぐらいです。
入院するということはなく、私の場合は学校の時は装具、家に帰ってからや休日は松葉杖での生活でした。ただ、じっとしていられない性格だったので、学校に着いてからは親に内緒で装具を外してケンケンで動き回ったり、最終的には装具を着けた状態で友達と走り回ったりしていました。
そんな生活が一年半ぐらい続いたものの、結局手術をすることはなく、中学二年生に上がる頃に完治したであろうと判断され、装具を外す許可が下りて歩行の訓練が始まり、半年ぐらいで自分の足だけで歩けるようになりました。
多少不便な部分もあるかもしれませんが、現在は通常の人とほぼ同じぐらいの生活ができるようになっています。「あの時」不自由した時間は戻ってきませんが、「これから」で十分取り返せたんじゃないかと思っています。
もうすでに色々な方から言われてきたかもしれませんが、私としても月並みな言葉しか言えません。お子さんが小さい分それを伝えることは難しいかも知れませんが、ただ我慢するしかないと思います。高齢発症の私ですら完治できたのです。骨頭に体重をかけないようにしておけば、あなたのお子さんのほうが若い分必ず治るはずですし、予後も私よりも良い状態になるのではないでしょうか。
これが皆さんの一助になれば幸いです。何よりも諦めないことです。
長々と失礼しました。
Posted by tsuyo at 2011年12月29日 00:41