無題

朝 いつものように妻と話をしてた
何の話か覚えてないけど、 いきなりSが俺と妻に (なら 俺の足も治してよ)と言った
その後、俺はなんて言ったか覚えてない…
(足、治してよ)

言われて辛かった

俺だって治してやりたいし 早く治ってほしい
でも 俺には治せないし どーしようも出来ない、それが辛い
でもSはもっと辛いはずだ


最近 車椅子が普通になってきて、 家族みんなそれが当たり前になってた、 それなりにいろいろな所に遊びに行ったりして、 楽しく過ごしてたけど やっぱり普通じゃないし、 普通に歩けたらどれだけ楽しいか。

こんな病気なのにいつもニコニコで明るい
(足、治してよ) と言いながらも明るく元気だ
本当に凄い奴だ

その姿を見てると俺や妻は逆に悲しく、つらくなる



文章とか言っている意味がわからないかもしれませんが ただ個人的な日記で書いているので すいません

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ペルテス病
1ヶ月
明日から学校です
ついに!
兄と妹
感謝です!
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2011年12月09日 Posted bypinkモータース at 22:43 │Comments(1)ペルテス病

この記事へのコメント
初めまして、中1の息子を持つ父親です。私の息子も3歳の時にペルテスを発症して、2年ほど装具装着、車イスの生活を体験いたしました。
今月久しぶりに検診をするので、何気なくネットでペルテスを検索したところ当ブログを見つけました。
私の息子はペルテスの発症と発見が早く、幼稚園の入園を1年遅らせた事、歩ける装具に変わってからの通園ということで、それほど苦労をしたとは思いませんが、階段のある小学校への通学はさぞご苦労されている事と思います。

息子は、車イスで出かけるとき、装具を着けて歩いてるとき、人に見られると自分から「僕はペルテスという病気なんだよ、ペルテスって言うのはね…。」と、いつも説明していました。親は息子の話が終わるのを黙って聞いているだけでした。

寝るときも装具を着け、外に出れば好奇の目で見られ、小さな子どもとは言えそのストレスは相当なものだったと思います。でも一度も装具を外したいとは言いませんでした、「早く直すためだもんね」と自分自身に言い聞かせていたようにも見えました。
でもたった一度だけ「何で僕だけ…」と泣いた事があります、私には何もしてやる事は出来ませんでした。
装具が外れてからも運動はまともに出来ず、体重は増え、小学校ではデブ、のろまと言われた時期もあります。最近になってあの頃はいじめられて泣いたりして悔しかったと、…知りませんでした。
運動会の徒競走で1人だけ遅れたビリでも、最後まで走れた事に親は感動したものですが、子どもにはつらかったのかもしれません。
息子は明るいのが取り柄です。私と妻も暗くなった事はありません。ペルテスは必ず治る病気です。貴方様の息子さんも、私の息子と同じで前向きな性格とお見受けします。
親は子どもの身体を治してあげる事は出来ませんが、心のケアをしてあげられるのは親だけだと思います。

現在息子は、少し太めではありますが短距離もビリから卒業し、空手、柔道と頑張っております。

この経験が貴方様御一家にとって良い思い出に変わる事を願っております。
Posted by 振り子のない時計 at 2011年12月16日 23:00
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